昔々、現在の中国地方には「吉備国(きびのくに 桃太郎の出身地)」という国があって、大和朝廷と対立関係でした。

んで、その吉備国が分割され、備前・備中・備後になったわけです。(詳しくは、こちら→吉備国 - Wkipedia

分割される前は、現在の備前市(当時は赤穂市まで吉備国)は大和国と争っていた最前線にあたります。


備前市って神社の数が非常に多くて、それはそういう地理的なことに関係するのかな、と私は睨んでいます。


それで、今日備前国についてぼーっと調べていたら、(私の中では)すごい発見をしたんです!


それは何かというと、歴代の備前国の守(もり)と権守(ごんのもり)の顔ぶれが、超ビッグネームだったってこと。

政治や社会システムが違いすぎるのでビミョーですが、守と権守というのは今でいう知事と副知事みたいなもんです。


私は日本史に疎い(高校時代は地理を選択してた)ので 、他にももっと色々いるかもしれないんですが、私の知ってる範囲の豪華顔ぶれを書いていきます。


【備前守】


1 坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)

この人、坂上田村麻呂さんのお父さんです。

田村麻呂さんは、桓武天皇の時の征夷大将軍 (いわゆる将軍)でした。


2 藤原公任(ふじわらのきんとう)

小倉百人一首では「大納言公任」として出ていて、和漢朗詠集(⇦懐かしい!)の撰者でもあります。


3 平忠盛(たいらのただもり)

平清盛のお父さんです。

私が日本語教師なので、これ読んでる読者が外国人であることを鑑み、平清盛さんは広島の宮島の厳島神社を作った人です。



【備前権守】


1 小野篁(おののたかむら)

この方は、政治家でもあり歌人でもあり、古今和歌集にたくさん彼の歌が収められています。

昼間は政治を行い、夜は地獄で閻魔大王の補佐をしていた、という伝説を持つ人でもあります。


2 菅原是善(すがわらのこれよし)

菅原道真さんのお父さん。

道真さんは、非常に頭が良く出世が早かったため周りに疎まれ、九州の太宰府に流された結果死後怨霊となって京都に災いをもたらし、朝廷がその怒りを鎮めるために北野天満宮に祀られた人です。

全国にある全ての天満宮の元になった人で、大阪の天満も同様。


そして、次が超ビッグネーム!


3 藤原道長(ふじわらのみちなが)

もう平安時代といえば、藤原道長さんでしょう!

この方の娘の彰子(しょうし/あきらこ)さんが当時の天皇の正妻で、彰子さんの女房(にょうぼう お世話がかりの女性)が「源氏物語」を書いた紫式部さん。


☆☆☆☆☆☆☆


このように見てくると、備前守や備前権守になるのって、平安京での貴族社会においてはエリートコースなんじゃないか、っていう気がしてきます。


当時はどういう位置づけだったんでしょうかね?


以上、akky でした!


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